紅茶の歴史

HISTORY OF TEA

紅茶の歴史


時代を超えた一杯

紅茶を含むお茶には、政治や社会、文化背景を巻き込んだ神秘的で長い歴史があります。お茶の起源もミステリアスな一面があります。


お茶の起源

お茶の起源は紀元前2,737年の中国まで遡るとする説が有力です。当時の皇帝、神農が飲んでいたお湯に偶然にも風に吹かれたお茶の葉が落ちたという逸話があります。その続きの物語を知っている人は多くありません。神農は牛の頭と角を持ち、その

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胃袋は透けて見えたという話があります。食べたハーブなどの植物が身体にどのような影響を与えるかを神農は、目で確認していたそうです。真相は定かではありませんが、何千年にも渡り、お茶は文明と密接なつながりがあったことは確かです。


お茶の生誕地、中国

8世紀の唐朝時代、皇帝が献上用のお茶を吟味しました。上海にほど近いところで農地を持つYang-Hseinに、米の代わりにお茶を栽培するように命じました。結果、Yang-Hsein一家は深刻な食糧不足に見舞われることとなります。その後、皇帝御用達の献上茶は後の世代にも引き継がれ、茶摘みの方法も確立していきました。

西暦780年、お茶についての本が史上初めて執筆されました。Lu Yuの残したCh'a Chingと冠された書籍は10章3部構成で、お茶の伝統的な作法や、お茶の心について解説しています。当時お茶は「ジェードクイーン」と呼ばれ、世界のミステリーを映すものと信じられていました。

茶葉はレンガ状に固められて流通し、通貨の役割も担っていました。お茶を淹れる際は、デーツやペパーミント、オニオンなど様々な物と混ぜ合わせて飲まれていました。


お茶の世界デビュー

西暦805年には、仏僧の伝教大師(最澄としても知られる。)が修行先の中国から日本へお茶の種を持ち込みます。また、4世紀から7世紀の間に、仏僧を通して韓国にもお茶が持ち込まれたと言われています。

お茶を取り巻く状況は、宋王朝の時代(960 - 1279)に転機を迎えます。まず、圧縮して固めていた茶葉を粉末状にし、泡状に淹れるようになりました。また、お茶を貿易と政治的支配に利用し始めました。茶馬古道と呼ばれる交易路が作られ、チベットとお茶と引き換えにと戦用に馬を購入するようになります。1年でチベット産馬2万頭と1,500万キログラムの茶葉が取り引きされました。中国では、さかんに茶葉が取り引きされ、また政治的な圧力を加える目的で茶葉の流通がコントロールされました。

茶の湯(現在は茶道という)と呼ばれる日本のお茶の作法は、12世紀の終わりごろに栄西が抹茶を日本に持ち込んだことから始まりました。15世紀には村田珠光により茶道がより確立されたものになります。次の世紀には、茶の湯の歴史上第一人者である千利休が登場します。

西暦1300年ごろには「闘茶」と言われるお茶の大会が台頭します。参加者はお茶の銘柄と産地を当てるという競技内容でした。100種以上のお茶が登場しました。15世紀には大きな変革期を迎えます。自然崇拝と簡素な調和が融合します。「わび茶」と呼ばれました。

明王朝(1368 - 1644)の時代には、お茶はベトナムやインドネシア、スリランカ、アフリカの東海岸にまで広まります。それは危険な旅でもありました。150キログラム近くの茶葉は、6週間かけて茶園から2千キロ離れた港まで運ばれ、そこから船で何カ月もかけて目的地を目指すのです。


欧州と北米での紅茶事情

紅茶が西洋書物に登場するのは1559年のベネチアになります。Chai Catai (中国のお茶)というタイトルで Giovannita Ramusioinによって出版されました。最初に茶葉が上陸したのは西暦1560年のポルトガルと言われます。イエズス会の神父Jasper de Cruzが、宣教師として中国に足を踏み入れます。ポルトガルが中国に初めて入国を認められた貿易船に乗っての渡航でした。17世紀の初めにはその後、茶葉はthe Dutch East India Co.(東インド会社)によってヨーロッパにもたらされます。

最初に英国人に茶葉が販売されたのは1657年、Thomas Garraway によります。Garraway(ギャラウェイ)の営むような喫茶店が、紅茶の媒介に一役買いました。喫茶店は様々なニュースが広がる場でもあり、政治的見解を議論する場、社交場でもありました。当時は男性のみが立ち入りを許される場でしたが、1,706年、Thomas Twining's(トワイニングス)が男女共に利用できる喫茶店をスタートさせます。ロンドンで最初のティーショップは1864年にAerated Bread Company(ABC)によってできたと言われます。

1662年、イギリスでの紅茶の人気が爆発します。ポルトガルの王妃Catherine of Braganza(キャサリン・オブ・ブラガンザ)が後のチャールズ2世と結婚し、紅茶を皇室に持ち込みます。同時に、重要な貿易路が開かれます。しかし、高額な関税により、紅茶は非常に高価で限られた層でのみ愛飲されました。

紅茶がアメリカ合衆国に登場するのは18世紀初頭です。ヨーロッパからの移民により持ち込まれました。1760年代には、紅茶は工業製品、繊維の次に輸入量の多い品目になります。1773年12月16日には有名なBoston Tea Party(ボストン茶会事件)が起こります。高い関税に憤慨した植民地人が、アメリカ・インディアンに扮装して港に停泊中のイギリス船に侵入し、船荷である紅茶箱340箱を海に捨てたのです。それ以来、同様の行為が繰り返されました。

高い関税は英国での紅茶消費量にも影響を及ぼします。組織的な紅茶の密輸が横行します。高所得の主人に使える召使は、使い終わった茶葉を盗み、乾燥して再販しました。結果的に関税は引き下げらます。イギリスは紅茶の代価確保のため、インドでケシの栽培を始めます。この政策はインドで大飢饉の原因となり、中国であへん中毒を誘発します。後に、あへん戦争勃発へと繋がるのです。


インド、スリランカなどでの茶葉の栽培

1823年、東インド会社はインド、アッサム地方でお茶の木が自生していることを発見します。同社は土を耕し茶園にまで発展させます。インドは、茶葉の貿易パートナーから最終的に英国植民地となります。1834年、総督のLord William Bentinck(ウィリアム・ベンティング卿)がインドにおいてThe Tea Committee(茶業委員会)を設置します。これが、インドにおける英国の最初の茶園の布石となります。同時期に台湾でもお茶の栽培が始まります。1867年、スコットランド人James Taylor(ジェームズ テイラー)がスリランカにお茶の種を持ち込み、Loolecondra Estateに栽培します。インドネシアでアッサム種が植栽されたのは1878年のことです。(中国種の茶樹を移植する試みは1684年より行われていた。) アフリカでは1850年代頃よりお茶の栽培がはじめられています。アルゼンチンでは1950年代に本格的なお茶の栽培が始まりました。朝鮮戦争でアジアとの貿易路が立たれるのを懸念したアメリカが、アルゼンチンから紅茶を仕入れるようになりました。このようにして紅茶はアメリカ合衆国を含む世界中で栽培されるようになりました。(アメリカではカリフォルニア南部とハワイ州でお茶が栽培されています。)


その他の紅茶の歴史

インド産の紅茶がアメリカに紹介されたのは、1904年、英国人Richard Blechynden(リチャード ブレッティンデン)によります。セントルイスで行われたワールドフェアで展示したところ、当日はとても暑く興味を持つ人は多くありませんでした。そこで、ブレッティンデンは紅茶を氷に流し込み冷たい飲み物として案内しました。こうしてアイスティーが発明され、現在では米国が消費する紅茶の80%はアイスティーです。

ティーバッグは1908年にニューヨークの商品Thomas Sullivan(トーマス サリヴァン)によって発案されました。サンプル用の茶葉をシルク製の袋に入れて送ったところ、受取人が袋に入ったままお湯に入れられると勘違いしました。結果、シルク布のほうが多孔性があり、良い結果を生みました。サリヴァンは、より薄手の生地で袋を作り、これが最初のティーバッグになりました。


紅茶に関する参考文献

このページで紹介した紅茶に関する知識は歴史のほんの一部分です。紅茶の物語をより詳しく解説している素晴らしい本がいくつもあります。本文は下記の書籍を参考にしています。



  • The Book of Tea, by Alain Stella, et al. (Flammarion, 1992)
  • Liquid Jade: The Story of Tea from East to West, by Beatrice Hohenegger (St. Martin's Press, 2007)